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インタビュー取材
2007.06.06
植島啓司(関西大学教授)先生からの言葉を頂戴しました。
脳波とCGと音楽
いったいどこまでが自分でどこまでが他者なのか、それは永遠の問題だ。はたして皮膚は本当に自分に属しているのだろうか。毛髪は、歯は、唾液は、爪は、乳は、そして、手術によって取り出された臓器は、はたして自分なのかそうではないのか。電子時代の超越主義は脳さえあればいいという発想に陥りがちである。それ以外は全て交換可能だと主張するのだ。だが、はたして脳も本当に自分に属しているのだろうか。
柴山信広の魅力は、そうした問いかけの豊かさにある。

彼の作品は、彼自身の脳をビジュアルとサウンドによって第三者に対してイメージ化しようとしたものであり、それを見事に美しい作品群として結晶させている。脳波とCGと音楽。自分の中の自分でないものと、自分の外側に有りながら常に自分であり続けるもの。
彼は「CGを描いてるときの気分、アイディアに思いを馳せているときの気分が脳波の中に入り続けていた」と言う。機械を通じて描き出される自分自身。そこには意識することなしに存在する彼自身がいる。彼とシンクロしたり全く無関係に振舞う不思議なグラフ。それを見ていると、パゾリーニ『グラムシの遺骨』という詩集の中の一節が思い出される。「自己矛盾というスキャンダル/僕は君の味方で君の敵だ/心では光を浴びて君の味方、血管の奥底は君の敵」。柴山信広は全く未来型のアーティストである。脳波を棺に入れて葬るという行為は、これまでとは異なる多次元的な自己の再生を予感させるものである。是非とも、いつかそのプロセスに立ち会いたいものだと思う。
植島啓司(関西大学教授)1992年
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