知識
2008.06.25
ワーゲンの弱部点を補強した見事な広告です。
18 New York University students have gotten into a sun-roof VW; a tight fit. The Volkswagen is sensibly sized for a family. Mother, father, and three growing kids suit it nicely.
In economy run, the VW averages close to 59 miles per gallon. You won't do near that; after all, professional drivers have canny trade secrets. (Want to know some? Write VW, Box #65, Englewood, N.J.) Use regular gas and forget oil between changes.
The VW is 4 feet shorter than a conventional car (Yet has much leg room up front).While other cars are doomed to roam the crowded streets, you park in tiny place.
VW spare fender(at authorized VW dealer) is $21.75. A cylinder head, $19.95. The nice thing is, they're seldom needed.
A new Volkswagen sedan is $1,565. Other than radio and side view mirror, that includes every thing you'll really need.
In 1959 about 120,000 Americans thought small and bought VWs.
Think about it.
■訳文
小さいことが理想
きっちりつめたら, ニューヨーク大学の18人の学生がサン・ルーフVWに乗れました.フォルクスワーゲンは, 家庭向きに考えて大きさが決められています. おかあさん, おとうさん, それに育ちざかりのこども3人というのが, この車にふさわしい定員です.エコノミイ・ランで, VWは, 1リットルあたり, 平均21km強の記録を出しました. あなたには, ちょっと無理な数字です. プロのドライバーは, 商売上のすてきな秘けつを持っているんですから. (お知りになりたい?ではVW.Box #65 Englewood, N.J.へお手紙をどうぞ). ガソリンは普通のもの, また, オイルのことは次の交換時期までお忘れください.VWは, 在来の車より全長が4フィート短くできています. (とはいっても, レッグ・ルームは同じくらいあります). ほかの車が混雑したところをぐるぐる巡りしている間に, あなたはほんの狭い場所にも駐車できるんです.VWのスペア部品は格安です. 新しいフロント・フェンダーは(VW特約店で)21.75ドル, シリンダー・ヘッドは19.95ドル, 品質がよいのでめったに必要とはしませんが.新しいフォルクスワーゲン・セダンは, 1,565ドル, ラジオ, サイド・ビュー・ミラーのほか, あなたがほんとうに必要なものは全部ついています.1959年には, 12万人のアメリカ人が, 小ささを考えてVWを買いました. ここのところを考えてみてください.
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2008.06.13
アメリカからのロジカルな広告作りを日本に持ち帰り、クリエイターに多大な影響を与えてくだっさった、大切な大切な西尾様、あなた様がいらっしゃたから、私がいられるのです。本当にありがとうございます。そして、私のインターンが、短時間で下記の様な文章を書き上げました。御奉納いたします。まだまだ彼は、若いのですが、目を覗き込んで「登ってこい」と一言、伝えました。そんな彼が書いた感想です。
「フォルクスワーゲンの広告を通じて」私は、これらの言葉の使い方を学びとりたい。
つまり、消費者の衝撃印象を与え、かつ、消費者の心を汲み取った
コピーを書くことができるようになることが、ひとつの目標になってくる。
また、商品のことを徹底的に調べ、理解すること。
そして消費者が、商品にどんなことを期待しているのかを考えることが大事と言える。
Lemon
This Volkswagen missed the boat.
The chrome strip on the glove compartment is blemished and must be replaced. Chances are you wouldn't have noticed it; Inspector Kurt Kroner did.
There are 3,389 men at our Wolfsburg factory with only one job: to inspect Volkswagens at each stage of production. (3000 Volkswagens are produced daily; there are more inspectors than cars.)
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2008.06.13
この前、僕に門を叩いた、学生がいました。彼はコピーライターを熱望していたのですが、一言でコピーライターとは何か?と聞いたが、答えられませんでした。しかし、彼は僕のインターンになりたいと、申し出て来ました。その彼に、少しずつ広告のコピーを教えながら、ホプキンスなどの古典を読んでもらいました。現在のコピーライターの方も、読んでなければおすすめです。
書いた彼の感想文を、皆様にご紹介いたします。
「広告で一番大切なこと」 を読んで
(著)クロード・C・ホプキンス
これは、私がこれから広告の仕事に関っていく上で、心にとどめておくべき基本的な事、参考になることを端的にまとめたものである。
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2008.05.07
2008.04.02
2008.03.13
【all aboutからの質問】ドラッグストアチェーンの本部で販促企画を担当しております。実店舗はこの地方では知名度、売り上げ共に一番のシェアです。
ただ、1年前に立ち上げたネットショップの売り上げが思うように伸びません。リアル店舗では、接客と価格でお客様の信頼を築いてきました。自社独自の開発商品等はありません。
社内では、地域での知名度と信頼性を生かして、全国での勝負ではなくこの地域のお客様に絞って展開するべきという意見と、ネットショップなのだから、全国を対象にして勝負すべきだとの意見に分かれています。
今後の戦略はどう考えていけばいいでしょうか。ご意見をいただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。
【回答】薬屋さんの顧客がボタンを押したくなるサイトとは。
すごいですね。
最近健康が気になりだしました。地域シェアNO1のお店、行ってみたいです。
薬屋さんの場合は
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2008.02.22
【all aboutからの質問】例えば、テレビCMと雑誌広告とインターネット広告を同時に行うとマルチメディア。TVCMで「続きはWEBで」と行ったり、紙媒体のチラシにQRコードやURLを記載するとクロスメディア。という認識で問題はないでしょうか。実際の、プロモーションの現場ではどのように使い分けをされるのですか?
【柴山の回答】
マルチメディアは昔の言葉です。
1995年ぐらいインターネットが出現する前に、結構使われていました。
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2008.02.20
【all aboutからの質問】テレビやラジオのCMと異なり、インターネットは能動的なユーザーが多いと思うのですが、リッチコンテンツは広告として有効なのでしょうか?動画マニュアルや、マンションの3D見取り図など、情報を得るためのリッチコンテンツは有効だと思いますが、プロモーション目的でリッチコンテンツを活用する際の効果的な方法はあるのでしょうか?
【柴山の回答】
確かに、難しい質問です。
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2008.01.19
【all aboutからの質問】ホームページからの資料請求を増やしたいと思っているのですが、有料でWebコンサルティングだけをお願いするか、リニューアルとセットにした無料のWebコンサルティングをお願いするかで迷っています。それぞれにメリット・デメリットのようなものは有るのでしょうか?
【柴山の回答】コンサルよりディレクションという考え方が断然です。
手持ちのお金の切り分け方が違うだけですが
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2007.07.28
雑誌 STEP-BY-STEP 1997年16号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第10回
1991年夏、MACデザイン考古学
1991年、世界一周から帰ってきた僕は、インドで得たインスピレーションをもとに、写 真やイラストとは違う、新しい表現を探してマックIIを仕事場に持ちこんだ。ちょうどShadeを買って間もなかった頃、SEIKOブランドの一部「ALBA」の腕時計の広告全体の競合プレを頼まれた。4社競合からとった代理店には、年間分の雑誌の扱いほとんど全てと、「少年ジャンプ」の表4の扱い全てが許可されるので、代理店の真剣さがよく伝わってきた。その中で、何案かのカンプボードを制作したが一案コンピューターグラフィック案を入れた。その時のALBAのアイテムはシンプルな文字盤の時計で、一度プ−マのサッカーシューズの広告CGをつくったことがあったので、できそうだと思っていた。ALBAも若者マーケットの商品なので今までの、写 真でもないイラストでもない何か新しい表現が必要だと予測した。プレゼンはこのCG案で通 った。
喜んでいたのも束の間の出来事で、僕はひとり青くなったのだ。なぜなら、時計のモデルは変更になり、より高密度なクロノグラフがついたモデルになったからだ。僕はすぐに、その複雑かつカーブをもった時計のデザインと、数字とラインが正確にたくさん入っている文字盤の制作にとちかかった。その当時の僕のマックはIIfx(当時の最新モデル)に40MBのハードディスクと8MBのメモリ(たった!…)、そして13インチのモニタだけだった。早速、装備を見直さなければならなかった。(まだ、当時はQuadra900もなかったのだ。)
まず、Photoshop(バージョンは1.0)のバーチャルメモリを上げるために、もう今はないブランド、三井石化の1GBのハードディスクを購入した(80万円位した)。あと、13インチモニタひとつではモデリングが辛いので、もう一つ13インチモニタとフルカラーボードを購入しIIfxに追加した。さらにヤーク社のリスク演算ボードを1枚購入した。これは当時127万円もした。それでモデリングを始めることにし、設計図を頂いてそれを立体に起こしていった。
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2007.07.27
雑誌 STEP-BY-STEP 1997年15号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第9回
MSN娯楽番組をFlashで作る
STEP-1
[ファイル→新規]で新しいファイルを設定する。
Tips1
作りたいムービーの画面サイズが決まっている場合には、[修正→ムービー]でサイズや背景などを設定しておいて、[初期設定値として保存]しておくと、次回からはそのサイズで画面が作られる。
Tips2
[ファイル→環境設定]で、[ツールのヒントを表示]をチェックすると、各ボタン等の名前がヒントとして表示される。
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2007.07.26
雑誌 STEP-BY-STEP 1997年14号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第8回
「場」としてのWebをデザインする
ある出来事
イベントプロデューサーの平井氏から聞いていたことだが、彼は数年程前にISDNと衛星を使って、日本から海外出張している家族を、テレビ電話会議システムで出張先の外国のご主人と、日本に残している家族、奥さん、子供たちと引き会わせてあげたそうだ。奥さんは前日まで家庭内電話でご主人と、今日あったことだとか、お子さんの学校の出来事、今日の献立の話を前日まで電話で手短に普通に話していたのだが、当日会場にきて、大きなモニター上で映されたご主人の顔を見たとき、それまでいろいろ喋ろうとしていたのに、涙で一言も喋れなかったといことだ。
僕はこの話に感動したものだ。なにもTVのワイドショーにある、失踪した家族と10年ぶりのご対面といことではなく、テクノロジーという恩恵と場に感動したのだ。引き裂かれた家族は、会場とテクノロジーが作り出した場により、地球の裏側で確かに生きているという実感を豊富な情報から汲み取ったのだ。人は電話で話し合っているだけで随分と安心したりするものだが、その人の顔を見ることは、人間にとって本当にインパクトがあることなのだと思った。
僕のことで言えばこんな事があった。駅でバッタリと5年振りに友人と会った時に、駅という場が含んでいる「電車と時間」という乗り物の両方に後で感謝した。またかなり前の話ではあるが、20年くらい前にフラリと2、3日オートバイでツーリングに出かけた時、対向から来るバイカーがピースサインを送り返してくれた時の、同志の意識感と共に長距離を高速で走っていたバイクという機械への信頼感が沸き上がってきたあの感覚とどこか似ていた。バイクとワインディングロードはテクノロジーによって保証された場なのだ。
その場とは、面で捉えると解りやすいかもしれないが、2箇所を分けながらも繋げているものだ。たとえば山とか海とか、ただそこに当事者がいてもいなくても、ある不条理、条理を抱えながらも超越した場の事だ。そこにはシンクロニシティという天使が現れたり、運命という出来事、出会いと別れという試練、裏切りと援助、味方と失敗、挫折、いろいろなファクターが入れ替わり立ち替わり現れては消える。誕生と死亡というスパイスもその中に入れると、随分ドラマチックだ。
現在我が4D.では、インターネットというケーブルとサーバーの網の目を場というふうに捉えられないかと思っているし、その場自体がコンテンツ表現の中での方法に取り入れることができないかとも思っている。
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2007.07.25
雑誌 STEP-BY-STEP 1997年13号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第7回
シュリーマン像に挑む(後編)
さて、前回できあがったShade等のデータを今度はLivePictureに持っていく。Photoshopは計算ずくで一つ一つのピクセルを間違いなく定着させるソフトだが、LivePictureは計算ではなく感性だ。料理で言ったらフランス料理のように一つ一つ型を大切にした作業と様式の組み合わせでディナーをつくるとするならば、こちらは感性で勝負のイタリア料理といったところである。ワコムのタブレットがあれば、写真を薄く合成したり輪郭をあまくしたりできる。エレメントが多く複雑なCGは写真で言う被写体深度をうまく補いポイントを整頓することが有効だ。この方法はたくさんの情報、物、物語性をせっかくたんねんにインプットしていきながら組み上げたCGをぼかしてしまうものなのだが私はこの方法をよく使う。見る人は曖昧な空間の前に立たされるのだが、ボケているから見る人それぞれのイマジネーションがふくらんでいくのだ。そして彼らの視線をつなぎ留める事ができるのだ。大きく作業を分けると(1)エレメントの隙のない構成(1mmも動かせないバランス)(2)光と影を使うことによる画面の定着(3)曖昧化の順が大きな制作過程です。
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2007.07.24
雑誌 STEP-BY-STEP 1996年12号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第6回
シュリーマン像に挑む(前編)
最近シュリーマンという男のことが気になる。今回はMSNのことを書く予定だったがこのことを先にさせて頂きたい。
シュリーマンという人物像
ハイリッヒ・シュリーマン は、トロイアとミケーナイの王の墓を発掘した人物だ。彼は1822年1月6日、ドイツの小さな村に生まれ8歳までそこで暮らしていた。父は町の牧師であった。古くからその村には数々の不思議な伝説があった。真夜中になると石塚から霊がでるとか、円塔の廃虚のかたわらにはとほうもない財宝が隠されているという話もあった。また、城壁のなかには秘密の通路が沢山あり、7〜8キロ先の湖に通じているなどという話もあった。彼の父がお金に困っているのに、なぜそういう財宝を掘り出さないのか、幼いシュリーマンには不思議に思っていた。彼の父はシュリーマンに、ポンペイの悲劇的な壊滅の話や、ホメロスの英雄伝や、トロイア戦争の数々の出来事を聞かせた。
8歳の時父から、イエラー著者(子供のための世界史)をプレゼントされた。その中の挿絵には、炎上するトロイアの都や、英雄イリアースが自分の幼子と年老いた父を背負い燃え盛る都を疾走しているイラストがあった。その時シュリーマンは、現実にあった話として強く受けとめた。そんな夢のような話に耳を傾けてくれる唯一の同じ年のミンナがいた。
ところが、あることが原因でシュリーマンは家族とともに村から追放され、彼は無一文でオランダに渡ることになってしまった。彼は努力して何ヶ国語も話せるようになり、それを駆使して、ひと財産を築きあげた。常にあこがれのミンナにふさわしい男になること、そして結婚を誓いあったことを心の支えとして努力してきたシュリーマンは、やっとのこと彼女に結婚の申込をしようと何十年ぶりに尋ねたところ、皮肉なことに3日前に他の男と結婚してしまっていた。
今までの苦労のいっさいがっさいが無意味に感じられ、しばらくのあいだ悲嘆にくれていたシュリーマンは、やがて力を取り戻し、さらに仕事と貿易で巨万の富を手に入れた後一切の仕事をやめ、新しく彼の力になってくれた良き最愛の妻ソフィア・シュリーマンと共にトロイアを発掘したのだ。それから先もいろいろな出来事が起こるのだが、これがすごいのは本当にあった事だからである。
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2007.07.23
雑誌 STEP-BY-STEP 1996年11号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第5回
僕はShadeが好きだ。なぜならば、あの当時のマックのソフトで、175万円もしたプロのスペックを持ったソフトであるからだ。僕は新しいビジュアルをつくりたかった。いかがわしいビジュアルである。
写真を広告の中に取り入れるのは一般的な手法であるが、「過去こういうことがあった。」という証拠を広告上に用い、購買意欲を刺激しているに過ぎない。しかし、1985年あたりにロバート・エイブルという人がつくったリーバイスの広告には頭を一発殴られた。写真らしい写真は全然使われていなく、CGがメインであった。それは、「未来はこうなります。だからリーバイスを買ってみたら?」という逆ベクトルのビジュアルであった。早速ものは試しで、マックという土地を買い、その上に載せるソフト、つまりアトリエは2つに最初絞った。ShadeとPhotoshopである。
Shadeを立ち上げる。そこは暗黒の宇宙空間で無である。そこに球を入れる。ひとつのボールになる。色をつける。ブルーである。するとボールは地球に似てくる。そして光を変えることは太陽の角度を変えることでもある。僕は創造主になれる。大きな魅力である。なぜこの3Dがタイミング良く僕に向かって歩いてきて、僕がヨウコソと言い、お互いの魅力を引き出しあえたのかは分からない。でもソフトにも出会いというものがあるんだって事初めて知りました。
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2007.07.22
雑誌 STEP-BY-STEP 1997年10号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第4回
今回の「新しいデザインの構造」は、イタリアの古いものをテーマに取り上げてみたいと思います。10年程前になりますが、私はイタリア宗教絵画に魅せられ、絵画の古典技法を学んでいました。
まず、左を見て見て欲しいのですが。この絵柄は、フラ・アンジェリコ(ベアト・アンジェリコ) が1433年頃に描いた『奏楽の天使』の一部分です。これは額縁を含めると260×330cm位の大きさになる板にテンペラ画で描いてあるものです。
テンペラの技術自体は錬金術からも来ているので、ウサギのニカワとか、松ヤニとかをまぜたりしており、市販の油絵具とじゃ全然違うものを使用しています。そのため、どこか占いや魔術の雰囲気が漂うものです。それらの技術を用いたこの絵も、描かれてから500年以上も経つと、このように傷んだ状態になってしまいます。
僕はこういった絵の復元をデジタル上で試みたことがあります。『ベアトアンジェロ』(トレヴィル刊)という本にその際の作品が収録されています。永い歳月を経て朽ちた絵画の修復には、本来は大変な努力、技術、年月、費用、人手を要します。まず、その絵画がどんな画材を使用し、どんな技法で描かれているのかを顕微鏡などで分析し(タマゴテンペラか、魚テンペラか、カゼインテンペラか、また、それと調合する油性分はベネチア産のものかどうか等々)、描かれた当時そのままに、あるいは極力それに近い仕上がりを持つ技法で、腐食したり剥げ落ちたりした部分を描き足していきます。
このように、修復作業が最高度の注意をもって進められていきます。例えばダビンチの『最後の晩餐』の場合は、食堂の蒸気や、食物から発生するガスのため、腐食で壁画がボロボロになっていました。その修復には、白衣を着て、まるで腫物に触るかのような注意を払って修復が行われています。
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2007.07.21
雑誌 STEP-BY-STEP 1996年09号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第3回
さて、イタリアから戻ってきたトーキョー・オフィスにはカイ・クラウス が、新作ソフトを携えて、デモにきていた。彼は、この業界なら誰でも知っているKPTブライス を始め、Photo ShopのプラグインソフトでおなじみのKPTフィルターシリーズを開発してきた人物である。
カイ・クラウス(以下カイ)の創りだすソフトウェアは、まさに自分の感性と感覚で扱うものであり、他のソフトウェアを扱う時の様に、まず説明書を読んで、その次にチュートリアルに基づいて試してみて、というようなものでは全くない。実際に体を動かして体験して、楽しみながら覚えていくソフトである。そして、その機能には、はかりしれない夢がある。更に、画面上のインターフェースがまた独特で、多少中世風な雰囲気を漂わせながらも、クリアで、スッキリしており、それでいて遊び心を忘れていない。インターフェース上で、ポインタを動かしていると思わぬ所で隠れ機能(?)にぶつかったりした時には、ちょっと特した感じさえする。そんな私好みのタッチのアイコンを軽く押して動かすだけで、驚くべきCGができあがるのは本当に凄い。カイのPhoto ShopをいわばOSにしてしまうKAI'S POWER TOOL というソフトウェアは、私自身、以前よりお世話になっている所だった。
さて、今回の話しのテーマであるが、前回まで話していたインターネット構想から少し離れて、このカイの来社時の話しと、"KAI'S POWER GOO"という新作ソフトについての話しを中心にしたいと思う。
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2007.07.20
雑誌 STEP-BY-STEP 1996年08号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第2回
ピアッジョ イタリアーノ
さあ今回は実行編である。6月、私は、イタリアと東京を結ぶインターネット構想「テレパシー・イタリー」関連の事と、4Dのフィレンツェオフィスの移転引っ越しのチェックを兼ねてまたしてもフィレンツェ に飛んだ。フィレンツェに行くのにいくつか方法はあるが、今回は、KLMのアムステルダム、(ここまで11時間)ミラノ経由で(計13時間)行く事となった。新たにフィレンツェオフィスに導入する日本からの持ち込みのコンピューターなどの荷物が多かったためフィレンツェオフィス関係者のリカルド(Photoの一番右にいる男性)にワゴン車でミラノまで出迎えてもらった。ラテン人の彼の運転する車は、時速140Km、車間距離は、車1台分というすさまじさで、(イタリア人が車を育てるという事が良くわかった道中であった。)ほとんど休みなくたった4時間半でミラノ-フィレンツェという長い距離を走りぬいてしまった。しかも、グラッパという、アブサンのような強い酒をすすりながら、右手には携帯電話を持ち、さらに、時々、助手席に座る奥さんの方をチラっと見て愉快に話しもしながらペダルを踏んでいたのだった。イタリア男児の体力と、その国民性からくるノウ天気さには、しょっぱなから圧倒されぱなっしだった。
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2007.07.18
雑誌 STEP-BY-STEP 1996年07号掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第1回
1995年の7月10日、私のオフィスは仕事し慣れた場所渋谷から南青山へと引越した。それは、一まわり大きなオフィスを借りて、収納が不可能になってきたコンピューター絵画や資料、やたらと増えたマックやプリンター、そして、それらを載せるテーブル等を効率よくレイアウトする為であった。しかし現在引っ越してから1年もたたないのだが既にあふれんばかりに色々な物がたまってしまったのである。仕事に関しても普段している広告等のグラフィックデザインばかりでなくそれらを制作する為の新しいソフトウェアーの試用、それを支えるハード機器のスキルテスト、今回この雑誌でとりあげるインターネットの研究なども含め実務と研究というニ本柱が色濃くなってきた。そのためもう一部屋借りて研修Room ANNEXと名づけ、全体の機能の1/3をそこへ移す事にした。青山本館から歩いて3分位の所である。
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2007.06.28
1991年にサンフランシスコロケをした。DTPのシステム会社の仕事である。
その時に、私が愛用していた。システム6.04のケースに、photoshopの開発者のラッセルブラウン、DTPの母、ダイアン、アップルコンピュータのクリエイティブディレクターのクレメントモックなど、合計6人にサインをしてもらいました。お宝探偵団に出してみようかな。
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2007.06.27
ルナティック。月の女神のように、優しい波動の時代が求められています。声高く、異文化を混ぜ合わせて、メルティングポットの様に戦う時代は、もう終わりにしたいですよね。広告がいつしか、戦う、誓約率を上げる広告になっていて、古き良き、暗がりが在る広告が作れなくなってきているんでは、ないだろうか。パルコの広告で昔、裸の女性がプールで一人で泳いでいて「ガラスで切り裂くように夏が終わった。」とか伊勢丹やサントリーの昔の一連の広告は、広告をみるのが楽しみであった。暑苦しいメッセージはもうごめんだよね。例えば、「ビジネスに安らぎを」ぐらいの温度が低いメッセージがもうそろそろ、英断できる企業が現れるべきだと思う。そのためにはその企業や担当者が相手の痛み、悲しみを分からないと、そんな良いコピー、コンセプトは開発、出来ないと思う。ああもう一度広告で泣きたいな。アリコのようなアメリカのDRMの様な広告どうにかならないかな。僕はCMをスキップしています。だから今一度、自分のシャドー部分を発見したくなって、そのシャドー部分を自信に変えるために、月の土地を所有しました。月に自分の名前の場所があるなんて、、、いつか訪れたいな。
上の月面図の赤いポッチが僕の物。
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2007.06.13
2007.06.13
1994年.あと6年でぼくらは21世紀に踏み込む。子供の頃夢に見ていたあの21世紀に向けて僕はどんな事が出来るのだろうか?そんなことを考えていると、NTTが正月早々、朝日新聞でマルチメディアに向けて助走段階に入ったという記事を見た。又、日経産業では光ファイバーのATM交換機をNECが作りアメリカに大量に売るという記事がどんどん入ってくる今日この頃だが、何か大きな音をたてて徐々にインフォメーションの形が大きく回転し始めたような感じがする。その中でぼくらの次の世代の21世紀のアートディレクターや、コピーライター達は何か確実に私たちと違うものが要求されるに違いない。
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2007.06.07
●CG画像の値段とこれからの展開
3D画像を制作するまでで、1ヶ月以上の日数がかかっている。いったい、この3D画像の料金はいくらが適正なのだろう。
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2007.06.07
●校正出力
出力に用いたのはインクジェット式のIRISプリンタ。ソフトウェアはPhotoshop。用紙はA3サイズだ。だいたい作品はこのサイズでIRIS出力している。プレゼンテーションに使うには、このくらいのサイズがないと迫力がないからだ。
ここでクライアントのチェックが入る。精密機器メーカーなので設計図と首っ引きの細かなチェックが入る。校正紙は赤字で埋まってしまった。
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2007.06.07
●レンダリングの準備
部品が揃ったところでレイトレーシングモードでレンダリングするのだが、このとき、System、アプリケーション、モデリングデータ、マッピングデータの合計メモリサイズを8MB以内に抑える必要がある。
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2007.06.07
●質感
模様などがない均質なモデルには、マッピングは不要だ。モデリングデータそれぞれに質感の設定値と色を設定してレンダリングすれば質感のある物体として描かれる。時計本体やベルトの部分はこの方法で質感、色を出している.
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2007.06.07
●マッピング
モデリングと同時にマッピングデータも作っていく。マッピングとは、作成した物体に色や模様を与えるための方法だ。3Dではモデルに直接絵を描くのではない。このマッピングには大きく2つの方法がある。ラッピング法と投影法である。
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2007.06.07
●モデリング
ここからは実際の作業を見ていこう。
広告制作の依頼は、撮影商品(最終モックアップ)が出来上がった時点できている。制作に当たっては、図面20枚程度と撮影商品の提供を受けた。
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2007.06.07
1992年MdNのImageprocessingという企画でした。苦労して開発してきた当時のノウハウを全て本当に公開して欲しいと編集者に頼まれたときは悩みました。何故ならライバルを自ら作り上げてしまうからです。しかし私は決断しました。今後のクリエイティブ業界に微力ながらでも進化に貢献できるのなら、どこにもでていない、神髄までのノウハウを、後生のデザイナー達に伝えようと悩みに悩んだ、あげく決心をしました。「人は人と繋がっていると。」以下がそうです。とても懐かしいです。でも、昨日の出来事のようでもあるんだな。
3Dグラフィックソフトを操る魅力は、何もない暗闇の世界に物体を創造し、それに光を与えるという行為の中にあるのかもしれない。この魅力にとりつかれた柴山信広氏は、広告用の商品を3Dの世界に持ち込んでしまった。彼の作品からは、制作時のイマジネーションがダイレクトに伝わってくるようだ。さて、緻密さと忍耐強さが要求される制作の裏側を見ていこう。
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2007.06.06
Webの新しい見せ方
今問題視されているのは、私の知人のマクロメディア社の坂口氏によると、スポンサー側からするとバナー広告を出してもアクセス数だけでは広告効果を計れないし、見る側からするとバナー広告自体が目に止まっていない。
そろそろ、もう少しWeb全体、クリエイティブコミュニケーションが問われる時代が来ているのではないかと思う。現在の一つの解決法は、FutureSplashだ。(その当時はマクロメディアが買収する前でこういう名前でした)
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2007.06.06
場の変化
人類が狩をしていた時、一人の人間が獲物を獲ったとする。その人間が所属しているグループの長老が、たぶん何日も食べてない皆を集めて食事会をしたことだろう。きっとその獲物を捕らえた男には、長老がその村の別のものが取ってきた木の実などを差し出して、みなで火を囲みながら笑ったり踊ったりしたのだろう。人類が工夫を凝らし獲物がたくさん定期的に採れはじめると、それらを交換する広場を運営していく主催者が求められてくる。
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2007.06.06
ネットの場の中に個人の出来事をうまく伝える事と広告の位置
ネット世界の場を内包したような番組がある。投稿型の番組で「さんまのカラクリTV」というのがあるが、(本当に長寿番組ですよね)あそこに視聴者から送られてくるビデオにはストーリーのミニマムなもののやり取りが隠されている。しかもところでさんまのカラクリTVの素材は電波で視聴者にビデオメールを送って欲しいと発信し、ビデオで記録した素材をTV局が編集してまた発信するという場を含んだ表現を見事に完成させている。
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2007.06.06
ある場と出来事
イベントプロデューサーから聞いていたことだが、これは数年程前(1992年頃)にISDNと衛星を使って、日本から海外出張している家族を、テレビ電話会議システムで出張先の外国のご主人と、日本に残している家族、奥さん、子供たちと引き合わせてあげたそうだ。奥さんは前日まで家庭内電話でご主人と、今日あったことだとか、お子さんの学校の出来事、今日の献立の話を前日まで電話で手短に普通に話していたのだが、当日会場に来て、大きなモニター上で移されたご主人の顔を見たとき、それまでいろいろしゃべろうとしていたのに、涙で一言も喋れなかったということだ。
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2007.06.05
交通事故にあい脊髄を骨折してしまった。幸い神経は、すべてつながっていたのでわりと早く退院できたのだが、ギブスをしながら、古い国立病院の外科病棟の個室に電話を引いてもらい、色校をしたりしていた。そんなある夜、
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2007.05.27
アートディレクターという職業
-この世界に入ったきっかけを教えて下さい
柴山氏-
最初、イラストレーターになりたかったんですよ。絵描きじゃ食っていけないって忠告されて、商業絵描き、まあイラスト描きになったんですが、いろいろ仕事をしていくうちに、「おまえ、ADのほうが向いてるよ」って言われて、本格的の広告の勉強を始めたわけです。
―そのアートディレクターとは、基本的にどういったお仕事なんですか。
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2007.05.06
まだ、その時、ほとんど秋葉原あたりでもマックのお店なんて少なかったが、イケショップだとか、できる限りお店を聞いて歩いた。
その当時3Dのソフトでは、アメリカでストラタとかスイヴェルとか出始めていたが、どれもディティールが僕の望む広告表現には、まだムリがあるかと思えたし、計算のスピードが気が遠くなるものだった。そんな時日本産の3DソフトでPCの中にボードを追加すればするほど計算処理スピードが速くなるという3Dソフトがあると聞いた
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2007.05.05
広告の大事なファクターに写真と言う要素
があるが、写真では広告で大事な意味をなしている。それは、過去は本当にそうだったと言う現場証拠というものを巧みに利用している。
例えば、高速道路で衝突事故を起こしたものを内側と外側からカメラで計測写真のように撮影しつづけ、ボルボは安全ですという気持ちになるわけで、いわば過去の事実を現在の自分に当てはめてみるといったふうに、過去からのベクトルが現在に働きかけるための写真は道具なのだ。しかし、コンピューターグラフィックスは、まだ、どこにもない物で登場させて将来はこうなるけどどうでしょうか?はい面白いよ!という未来からのベクトルを現在に向けることができる。この新しい世界観を僕は、リーバイスのCFに見出していて、それを広告の中に取り入れたいと思ったのだ。
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2007.05.03
これは、フランスのCGアーティストでピーターグリナーウェイの映像制作を手がけたイブ・ランボスがムービーを担当し、僕が平面のほうを担当するものだ。今、ブルックボンドのCFで若い女の子に人気がある黒田くんというタレントと、カメラは、宇田幸彦さんが担当した。この広告では、かねてから考えていたバーチャル空間に少年が入った時の驚きと喜びを表現した。
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2007.04.24
左上の図柄をダブルクリックして下さい。動画がスタートします。
今回は自分が書くのではなくある先生の評論を紹介します。
エドワード・マイブリッジ(1830-1904)による動く人間や動物の動きを捉えたクロノフォトグラフィーのシリーズは、20世紀の数多くの実験的なアーティストに刺激を与えてきた。
ここには、マルセル・ヂュシャンやウンベルト・ボッチョーニのような人々に始まり、傑出した映画作家(ジガ・ウェルドフ、ジャン=リュック・ゴダール)、ビデオ作家(ジョージ・スノウ、ガーバー・ボディ)が含まれる。
この「マイブリッジアン」の系譜は、イメージの「神秘化」の傾向をくい止め、距離をとって分析するための新しい「凍りついた」空間を打ち立てようとする衝動を持ったモダニズムのアヴァンギャルドと、主として関連づけられてきた。
だが、柴山信広によってすぐれたCD-ROM作品 (BIO-MORPH ENCYCHROPEDIA Muybridge)は、この系譜からは、はっきりと断絶している。柴山の目標は、運動自体の脱構築よりも、新しい総合的な経験をもう一度創造する事にある。
現代のモーフィング・ソフトウェアの創造的活用をはじめとして、彼はさまざまな文化的ソースから得た要素を結合する。この結果は超現実的で奇怪なものだ。
まず、観客=ユーザーはマイブリッジの静止画像の目録から何点か選択するように求められる。(季刊インターコミュニケーション NO.14より)フィンランド ラップランド大学メディア学部教授 エルキ フータモ)
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2007.03.20
先生に出会ったのは、こちらから押しかけてだから、迷惑だったかもしれない。先生の赤坂のマンションにある事務所は綺麗で優しい受付の方がいらっしゃて、広告業界2年生の僕をしっかり受け止めていただいた。
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2007.01.27
広告転職から取材を受けました。──広告表現の世界にCG(コンピュータ・グラフィック)を持ち込んだ第一世代と言える柴山さんですが、CGを本格的にやり始めたのは何年頃からですか?
コンピュータに興味を持ち始めたのは1988年からです。その頃は、建築にはCADがあり、音楽でもシンセサイザーが小型化されるなど、世の中が徐々にコンピュータ化されていく時代でしたが、どういうわけかデザインの世界では使えそうなコンピュータはほとんどありませんでした・・・版下の時代でしたから(笑)。続きは、、、、こちらへ
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2006.09.04
1991年、世界一周から帰ってきた僕は、インドで得たインスピレーションをもとに、写真やイラストとは違う、新しい表現を探してコンピュータを仕事場にもちこんだ。ちょうど3DソフトShadeを買って間もなかった頃(当時はソフトだけで175万もした!)、SEIKOブランドの一部「ALBA」の腕時計の広告全体の競合プレを頼まれた。4社競合からとった代理店には、年間分の雑誌の扱いほとんど全てと、「少年ジャンプ」の表4の扱い全てが許可されるので、代理店の真剣さがよく伝わってきた。その中で、何案かカンプボードを制作したが一案コンピューターグラフィック案を入れた。
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2004.09.28
私は9月3日のエッセイでプレ負けの話をした。が、その背後には4D.comが2004年に入って1月から3月の3ヶ月間で、競合プレ“13戦10勝”という実績がある、という話が隠されているということをちょと知っていただきたい。
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2004.09.09
最近注目を浴びている伊藤若冲。宇多田ヒカルのPVなどにも使われたりと、現代アート的なとられかたをするようになったのは、なぜだろう。グラフィックデザイナー、アートディレクターとして活躍している柴山信広氏に聞いた。
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2002.06.24
今回は、今の世の中を動かしているモノのことを話したい。つまりお金についてである。 昔々、まだ人々が今のような生活体系を確立していなかった頃には、当然お金という概念はなかった。その当時の物流としては、私たちが授業で習ってきたように、狩りで生計を立てていた村と果実の収穫を糧にしていた村とのあいだでの物々交換などが考えられる。
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2002.06.23
さて、前回は貨幣の成り立ちや、現在の経済の状態について、私的な意見を述べさせていただいた。今回はその続き。
『活動』に根付いた経済や貨幣というものが、資本主義の潮流の中で薄れていき、マネーゲームと化している一方で、お金というものを見直していこうとする動きもある。それは、いくつかのプロジェクトとして始まっている地域通貨の動きである。
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2002.03.29
現在、日本の大多数の企業や組織では組織内で情報を統一し各部門へ情報を分配する役割を持つ、情報の中心となるべき部門が欠けているように思います。各部署での情報のやりとりがスムーズに行う事ができず、業務の進行に支障をきたし、各社員へ余分なストレスを強いる状況が見られます。得に大きな企業になるに従いこの傾向は強く見受けられ、多くの弊害を生み出してます。
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2001.06.28
私が小学生になる前だったと思う。NHKテレビの放送時間が終わる時間だったか、ニュースの時だったか、画面上で地球がゆっくりと回転していた。そしてそこから『龍のおとしご』のような地形がゆっくりと現れてきた。それが「日本だよ」と親から教えられた時、私はなぜか嬉しさを感じた。
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2001.06.22
ニューヨークはマンハッタンだけではない。ニューヨーク市郊外を歩いてみようと思った。
そう決めた朝は、あいにく小雨模様だった。私が住んでいる23番地の地下鉄駅から1時間ほどで、ブライトンビーチとコニーアイランドという海岸へ行くことができる。そこへ行ってみようと思った。
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2001.06.21
東京、山手線の朝夕は大変に混雑する。ニューヨークの地下鉄もまた、朝夕はラッシュである。これは、ニューヨークに住み始めて間もない頃見たことである。
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2001.06.20
わが国では、自転車で車道を走ってはいけないと昔から教えられてきた。 上記の立体作品は当時ニューヨークの自宅で制作したオブジェです。
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2001.06.08
ニューヨークに行くことは日本を外から見ることでもあった。 同時に、日本で生きてきた物差しでニューヨークを見ることでもあった。単純に比較はできないが、ことサービス業の仕事ぶりに関しては、総じて日本の方がニューヨークよりレベルが高いと感じた。
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2000.10.11
デザイナーは注文主と大衆のあいだで、板ばさみになった芸術家であると言ったのは瀧口修造である。
私は広告制作をしていく時にそれをいつも意識している。広告主が伝えたいポイント、時代を吸収している大衆に、どう料理していけば響くのかいつも考えている。それが、楽しくてしょうがない。
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1999.01.15
僕は、よく幼い時に銭湯に行っていた。その銭湯には熱い湯船と、適温の湯船があり、小さなトンネルによって両方がつながっていた。当時6、7才だった僕は、泳げなかったが息を深く吸ってトンネルを潜り、その両方の湯船の中を行ったり来たりして遊んでいた。まさに、その頃読んでいたマンガ「小沢さとるのサブマリン707」の気持ちである。
ところがある日、コンディションが悪かったのか、潜ろうとすると足が
浮き溺れかかってしまった。 光の屈折で風呂の水が美しい模様を描く中、水をガブガブ飲んでもがいていると、
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1999.01.15
僕は、よく幼い時に銭湯に行っていた。その銭湯には熱い湯船と、適温の湯船があり、小さなトンネルによって両方がつながっていた。当時6、7才だった僕は、泳げなかったが息を深く吸ってトンネルを潜り、その両方の湯船の中を行ったり来たりして遊んでいた。まさに、その頃読んでいたマンガ「小沢さとるのサブマリン707」の気持ちである。
ところがある日、コンディションが悪かったのか、潜ろうとすると足が
浮き溺れかかってしまった。 光の屈折で風呂の水が美しい模様を描く中、水をガブガブ飲んでもがいていると、
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1999.01.15
僕は、よく幼い時に銭湯に行っていた。その銭湯には熱い湯船と、適温の湯船があり、小さなトンネルによって両方がつながっていた。当時6、7才だった僕は、泳げなかったが息を深く吸ってトンネルを潜り、その両方の湯船の中を行ったり来たりして遊んでいた。まさに、その頃読んでいたマンガ「小沢さとるのサブマリン707」の気持ちである。
ところがある日、コンディションが悪かったのか、潜ろうとすると足が
浮き溺れかかってしまった。 光の屈折で風呂の水が美しい模様を描く中、水をガブガブ飲んでもがいていると、
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