知識

2000.10.11

拡大と縮小からのアイデア

 デザイナーは注文主と大衆のあいだで、板ばさみになった芸術家であると言ったのは瀧口修造である。
私は広告制作をしていく時にそれをいつも意識している。広告主が伝えたいポイント、時代を吸収している大衆に、どう料理していけば響くのかいつも考えている。それが、楽しくてしょうがない。

 図案と言っていたのはデザインという外来語が来る前だったが、まさにデザインとは図の中にコピーとの共同作業で案を浮かび上がらせるものなのだ。私の場合でいえばそれは人と人の話を聞く事からいつも始めている。大衆の具体的な声が、その都度の宣伝の打ち合わせで用意されていなくとも、柴山個人を離れて大衆になりすました気持ちでクライアントの意見を聞く事よくある。自分がデザイナーであるというおごりがあればあるほど、技術的なコテ先に終始してしまい、コミュニケーションの代表として機能しなくなるからだ。
 私はクライアントの打ち合わせの時、イタコのようにクライアントの頭の中に入っていったり、受け手側を想定しその人になりきったり、自分という本来のデザイナーに戻ったりと、ものすごい勢いでスタンスを変えるよう気持ちを集中する事にしている。
 また、そのテーマの部分をzoom inして、毛穴まで見えるようにイメージングし、また、同一テーマを猛スピードでzoom outし、国をこえ地球サイズまで、引いて考えてみる事をする。そのミクロとマクロの世界とイタコとを組み合わせ、ミーティングに一時間参加すると、結構エネルギーを使う。しかし、会議室を去る時はもう何かが見つかっている。
 そして会社で作業をする前には、ほぼいくつかDirectionの方向が見えている。そこにその他、援護射撃してもらえる要素はないか、組み合わせはないかと、スパイラル的な円循環で考えている。そこに、Technologyや、マーケティングシステムや、大手代理店に牛耳られてしまったメディアの他の開かれたメディア、Webなども神経細胞のように組み合わせられるか考える。それ自体、もしくはその全行程が、デザイナーの仕事だと思う。これから、単純なグラフィックデザインという職務は小さくなり、デザインという言葉はもっと拡大した場所を欲しがってゆくと思う。
 一方、現在のデザイナー候補生は、それらの情報の捉え方がまったくできない。というか、考えが浅い。素材などを、まるで、ダイエーの地下の惣菜売り場で、さしみのパックしたものやえび天を買ってきて、クライアントに対してテーブルに乗せ、これがデザインだと言っているようなものである。それではダメだと言ったら、今度はPhotoshopでエフェクトをかけて、ほら、イマ流でしょと勘違いしている人がどれだけ多い事か。まるで、昨日誰も食べなかったから残してしまったさし盛を、ぶつ切りにして二つに分け、他のものとプラスチックのグリーンの葉で仕切っていれて、ほら、いいでしょと言って出しているようなものである。彼女、彼等は配置の変更やエフェクトをかけられる事がデザインだと思っている。
 心情として、若いデザイナーには申し訳ないが、言い知れぬ不安を感じる部分もある。一方、そのマックからスタートしたデザイナーの卵は、我々を含め今ままでのデザイナーよりも多くなってきている事は事実である。天才も多く出てくることを先輩として期待をしている。

Works

ネットでイタリアと東京を結ぶ、番組を10年前1997年に制作していたんだ。

凡人デザイナーのオムニバス(グラフィック編-1)

アップルコンピュータの貴重サイン

実は、広告、CM制作の為に、月の不動産を所有しています。

東京工芸大学からのインタビュー

BIO-MORPH-MUYBRIDGE

Infini-Dポスター

アルケミア

東映三国志ポスターCG制作

LOVE MOTHER EARTHのポスターを制作する