知識

2007.05.06

1991年、3Dのソフトは自分にぴったりのものがないか必死に探した

まだ、その時、ほとんど秋葉原あたりでもマックのお店なんて少なかったが、イケショップだとか、できる限りお店を聞いて歩いた。
その当時3Dのソフトでは、アメリカでストラタとかスイヴェルとか出始めていたが、どれもディティールが僕の望む広告表現には、まだムリがあるかと思えたし、計算のスピードが気が遠くなるものだった。そんな時日本産の3DソフトでPCの中にボードを追加すればするほど計算処理スピードが速くなるという3Dソフトがあると聞いた

その当時3Dのソフトでは、アメリカでストラタとかスイヴェルとか出始めていたが、どれもディティールが僕の望む広告表現には、まだムリがあるかと思えたし、計算のスピードが気が遠くなるものだった。そんな時日本産の3DソフトでPCの中にボードを追加すればするほど計算処理スピードが速くなるという3Dソフトがあると聞いた。早速それを見ることができるお店に見学の予約を入れた。そのシェードというソフトは、自分がその当時知っているソフトの中で一番速く動き複雑な形をつくりだすことが可能だった。小さなオフィスを借りたいと思った時だったので辛かったが、ソフトとIIfx本体の基本セットを200万円ちょっとで購入した。その3Dソフトが作り出す無菌室のようなバーチャルスタジオの中での、自分の頭の中にあるスタジオセットで言うところの小道具づくり、大道具づくりをしながら3Dのソフトを勉強し始めた。
そんな時、 セイコーの5社競合プレゼンの声が旭通の佐藤さん、横川さんからかかった。クライアントに、いままで作りためていた3Dのビジュアルを見せたら、通ってしまった。皆で喜んだが、クライアントからきた時計は、おそろしく複雑な文字盤がデザインされているアルバのクロノグラフ新製品だった。
IIfxで10日間くらいで形になった。しかし、宣伝部の部長が製作途中を見たいということで図面とデバイダーを持参でオフィスに来られてしまった。これには、マイッタ。時計会社だけあり、各部品のパーツ一個一個をモニターの中の3Dのモデリングと同じかどうか色もチェックが入り始めた。私の出力していたプリントは、またたくまに赤字だらけになってしまった。そのオフィスで今考えれば、恐ろしくポンコツな機会を相手に、幾度となく日の出を見ながらその修正と納品、レイアウトにあと2週間もついやしてしまった。
しかし広告が少年ジャンプにのり始めると少年たちは、それを破り時計屋さんにこの広告のモデルの時計を下さいと指名買いが起きはじめた。売り上げも、セイコーとアルバ全ての時計の中で第2位にランクされた。
このシステム6.07の8Mメモリーマックで制作した広告の元データは、畳8畳分以上もありビルボードにもなり、自分でも巨大なデータをよくも完成させたと思ったりもした。デジタルな感覚の広告への突入の感じがした。これを見て、MdNの編集部の人は驚いていた。この仕事が普通シリコンなどが置いてあるCGプロダクションに来た場、その当時1991年当時は、それでも大仕事だったでしょうと言って頂いた。

Works

ネットでイタリアと東京を結ぶ、番組を10年前1997年に制作していたんだ。

凡人デザイナーのオムニバス(グラフィック編-1)

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実は、広告、CM制作の為に、月の不動産を所有しています。

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