知識

2007.06.06

新しいデザインの構造-第8回分1996年Step by Stepより-1

ある場と出来事

イベントプロデューサーから聞いていたことだが、これは数年程前(1992年頃)にISDNと衛星を使って、日本から海外出張している家族を、テレビ電話会議システムで出張先の外国のご主人と、日本に残している家族、奥さん、子供たちと引き合わせてあげたそうだ。奥さんは前日まで家庭内電話でご主人と、今日あったことだとか、お子さんの学校の出来事、今日の献立の話を前日まで電話で手短に普通に話していたのだが、当日会場に来て、大きなモニター上で移されたご主人の顔を見たとき、それまでいろいろしゃべろうとしていたのに、涙で一言も喋れなかったということだ。

僕はこの話に感動したものだ。何もTVのワイドショーにある、失踪した家族と10年ぶりのご対面という事ではなく、テクノロジーという恩恵と場に感動したのだ。引き裂かれた家族は、会場とテクノロジーが作り出した場により、地球の裏側で確かに生きているという実感を豊富な情報から汲み取ったのだ。人は電話で話し合っているだけで、随分と安心したりするものだが、その人の顔を見ることは、人間にとってい本当にインパクトがあることなのだと思った。
僕のことで言えばこんな事があった。駅でバッタリと5年ぶりに友人と会ったときに、駅という場が含んでいる「電車と時間」という乗り物の両方に後で感謝した。またかなり前の話ではあるが、20年くらい前にフラリと2,3日オートバイでツーリングに出かけた時、対向から来るバイカーがピースサインを送り返してくれた時の、同士の意識感と共に長距離を高速で走っていたバイクという機械への信頼感が沸きあがって来たあの感覚とどこか似ていた。バイクとワインディングロードはテクノロジーによって保証された場なのだ。その場とは、面で捉えると解りやすいかもしれないが、2箇所を分けながらも繋げているものだ。例えば山とか海とか、ただそこに当事者がいてもいなくても、ある不条理、条理を抱えながらも超越した場のことだ。そこにはシンクロニシティという天使が現れたり、運命という出来事、出会いと別れという試練、裏切りと援助、味方と失敗、挫折、いろいろなファクターが入れ替わり立ち代り現れては消える。誕生年某というスパイスもその中に入れると、ずいぶんドラマチックだ。
現在わが4D.では、インターネットというケーブルとサーバーの網の目を場という風に捉えられないかと思っているし、その場自体がコンテンツ表現の中での方法に取り入れることが出来ないかとも思っている。

Works

ネットでイタリアと東京を結ぶ、番組を10年前1997年に制作していたんだ。

凡人デザイナーのオムニバス(グラフィック編-1)

アップルコンピュータの貴重サイン

実は、広告、CM制作の為に、月の不動産を所有しています。

東京工芸大学からのインタビュー

BIO-MORPH-MUYBRIDGE

Infini-Dポスター

アルケミア

東映三国志ポスターCG制作

LOVE MOTHER EARTHのポスターを制作する