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知識
2007.07.26
ワールド・デザイン計画 新しいデザインの構造 第8回
雑誌 STEP-BY-STEP 1997年14号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第8回
「場」としてのWebをデザインする
ある出来事
イベントプロデューサーの平井氏から聞いていたことだが、彼は数年程前にISDNと衛星を使って、日本から海外出張している家族を、テレビ電話会議システムで出張先の外国のご主人と、日本に残している家族、奥さん、子供たちと引き会わせてあげたそうだ。奥さんは前日まで家庭内電話でご主人と、今日あったことだとか、お子さんの学校の出来事、今日の献立の話を前日まで電話で手短に普通に話していたのだが、当日会場にきて、大きなモニター上で映されたご主人の顔を見たとき、それまでいろいろ喋ろうとしていたのに、涙で一言も喋れなかったといことだ。
僕はこの話に感動したものだ。なにもTVのワイドショーにある、失踪した家族と10年ぶりのご対面といことではなく、テクノロジーという恩恵と場に感動したのだ。引き裂かれた家族は、会場とテクノロジーが作り出した場により、地球の裏側で確かに生きているという実感を豊富な情報から汲み取ったのだ。人は電話で話し合っているだけで随分と安心したりするものだが、その人の顔を見ることは、人間にとって本当にインパクトがあることなのだと思った。
僕のことで言えばこんな事があった。駅でバッタリと5年振りに友人と会った時に、駅という場が含んでいる「電車と時間」という乗り物の両方に後で感謝した。またかなり前の話ではあるが、20年くらい前にフラリと2、3日オートバイでツーリングに出かけた時、対向から来るバイカーがピースサインを送り返してくれた時の、同志の意識感と共に長距離を高速で走っていたバイクという機械への信頼感が沸き上がってきたあの感覚とどこか似ていた。バイクとワインディングロードはテクノロジーによって保証された場なのだ。
その場とは、面で捉えると解りやすいかもしれないが、2箇所を分けながらも繋げているものだ。たとえば山とか海とか、ただそこに当事者がいてもいなくても、ある不条理、条理を抱えながらも超越した場の事だ。そこにはシンクロニシティという天使が現れたり、運命という出来事、出会いと別れという試練、裏切りと援助、味方と失敗、挫折、いろいろなファクターが入れ替わり立ち替わり現れては消える。誕生と死亡というスパイスもその中に入れると、随分ドラマチックだ。
現在我が4D.では、インターネットというケーブルとサーバーの網の目を場というふうに捉えられないかと思っているし、その場自体がコンテンツ表現の中での方法に取り入れることができないかとも思っている。
場の中の出来事をかなりうまく伝えること
場を内包したような番組がある。TV番組で「さんまのカラクリTV」というのがあるが、あそこに視聴者から送られてくるビデオにはストーリーのミニマムなもののやり取りが隠されている。例えば、仲良く遊んでいた小さな兄弟が食卓に座らされ、2人分のオヤツをもらった。、ところがおもちゃに夢中な弟は知らないうちに兄にそのお菓子を食べられてしまった。変だと思った弟は泣き出す、その大きな声にを母親に聞かれてはマズイと思った兄は、弟に自分のオヤツをパッとお皿に置くと同時にカモフラージュを施しながら弟をあやす。泣きやみ始めたところに母親が入ってきて、弟をかわいがっていると勘違いした母親は兄の方を逆に褒めてあげて、兄におやつをもう一つあげる。が、さらに怒った弟は、兄が自分の所に置いたものと母からのもう一つに兄の分、両方を口にパックと入れてしまう。口の中に二つの団子を入れ、やったと満足な顔の弟。こんなビデオが5分ぐらい放送されいてるが、なかなか面白い。そこにはストーリーの完結性がコンパクトに入っており、自分の中の別の記憶や気持ちと対比させ、頭の中の記憶データを照らし合わせて客体である自分を主人公にしてしまうからだ。
さらにその起承転結の間にCFが入る。これは優れた一つの方法だ。CFという休憩が入りながらも人を最後まで惹き付けさせ、何かの感想を残せるからだ。この番組の内容とCFの関係性は非常に巧みなのだ。おそらくパケット的にうまく送られてくれば、丁度良く複数の情報の組み合わせを感じ取ることができるということなのではないだろうか。
今あるインターネットに貼られている情報の羅列的方法だと、「さんまのカラクリTV」も必ずつまらないもになってしまう。たぶんこうだろう。「私の家の子供達の小さな事件」というヘッドがついている。兄と弟の泣いている、あるいは笑っている顔写真がhtmlで埋め込まれ、先のようなTEXT情報が入っている。これが「今日は兄と弟が…」というふうに日記的に処理されていると、観る側も辛い。知らない家族の出来事など文章で読みたくもない。努力したくないのだ。だからうまく送りだしてあげる方法が、今日のインターネットの時代にも必要とされているわけである。まだまだ試行錯誤の段階だ。出来事をかなりうまく伝える事が技術の狭間で揺らいでいる。
ところで、サンマのからくりTVの素材は電波で視聴者にビデオメールを送って欲しいと発信し、ビデオで記録した素材をTV局が編集してまた発信するという場を含んだ表現を見事に完成させている。
場の変化

人類が狩りをしていた時、一人の人間が獲物を採ったとする。その人間が所属しているグループの長老が、たぶん何日も食べていない皆を集めて食事会をしたことだろう。きっとその獲物を捕らえた男には、長老がその村の別 の者が取ってきた木の実などを差し出して、皆で火を囲みながら笑ったり踊ったりしたのだろう。人類が工夫をこらし獲物が沢山定期的に採れ始めると、それらを交換する広場を運営していく主催者が求められてくる。これは差し出す人と受け取る人とは別 の第三者であり、彼等はそこに集う人々を守って、フィールドが変形したり消失してしまうのを防ぐ事が仕事になってくる。図の「モデル1」の関係だ。
その場は、今千年以上飛び、インターネットの中では誰しもが場をつくることができる。売り手が自分で自分の場を造ったり買い手が買いたいものを発信する場も造れるが、それは図の「モデル2」のような形をつくるのではないかと思う。
当然、市場を守る人という第3者が存在しない場合も出て来て。売りたい人が安価な建築費で売りたい人を見つけてしまう可能性もあるわけだ。しかし膨大な売り手、買い手の情報の中で自分の好みの情報を仕入れるためには、一種のエージェント機能であるサーチエンジンを使用したり、雑誌で調べたり、リンクをたどっていくということが必要になってくる。もう一歩つっこむと、ここで問題なのは、売り手、買い手お互いの綱引きであって、第3者による保証的なものが必要になる。情報をブランド化するところである。これからは、「この人、このサイトがリコメンドしているから安心できる」というサイトやホームページが求められる。ここでも保証というものを包みこんだ両者を集わせる力が必要だ。場のブランドを造り出していく事もやはり一つの方法だ。
しかしブランドを造る事は、これからは人と人の日々の営みやセンスでだけでなく、技術を知っている人がインターネット上にそのサイトのブランドをつくり、面白い事をクローズアップしてくれることが求められる。なぜかというとその場を管理している言葉はプログラム言語でもあるからだ。図の「モデル3」の出現である。つまりウェブマスターの技術をもってコンピューター本体と交渉する仕事の誕生である。彼等の仕事はキーワード、パーチェシングとかポジションエージェントといわれている。これらはそれぞれのサーチエンジンの検索アルゴリズムを調べておき、1ページ目の一番上のクライアントのアドレスリンクボタンをなるべく上の位置に押し上げてあげるといったサービスである。何かをゲットしたい人は、一番最初のページの上の方に出ているものを選択する確率が高い。ポジションエージェントのデモはhttp://www.posittionagent.com/で見られるから、行ってみるとよい。
このように広場主催者は一部の機能をどんどん全体へと広げサイバーエージェント化していく訳であるが、ここでもそのシステムを包み込む人が介在していくことだろう。なぜなら人は生体系のみにより癒されるからだ。これからも一人でやるよりも。いっそう人と人との新たな形での強力な助け合いが無いとできないことであろう。TVとは違う、さらにそれらを超えた、よりもっと人の心を離させない、惹き付ける構造そのものとその場での表現の新しいデザインが必要なのではないかと思う。それができた時に自ずと今問題視されているインターネット上での広告は機能してくるのではないだろうか。
Webの新しい見せ方
今問題視されているのは、私の知人のマクロメディア社の坂口氏によると、スポンサー側からするとバナ−広告を出してもアクセス数だけでは広告効果 を計れないし、見る側からするとバナー広告自体が目に止まっていない。もう少しWeb全体、クリエイティブコミュニケーションが問われる時が来ているのではないかと思う。
現在の一つの解決法は、FutureSplashだ。コンテンツ制作の上で、Macromedia Flashを使用すると、通常のページ単位でまとめられたWebページとは違った構造・見せ方ができる。つまり、時間軸を持った番組作りのWebページ作りが可能になるのだ。ウィンドウの中の画像は常に展開し、ページをめくるための「クリック」という面倒な操作さえも無しにどんどん情報が送られてくるWebページである。このMacromedia Flashの持つストリーミングの技術により、Webページにおいて時間軸をも取り入れた極楽Webを制作者側が演出することが可能になってきた。一枚一枚のページ単位ではない、ある種のストーリーを持った「番組」作りが可能になる。これからもストリーミング技術の向上に伴った新しいソフトウェアの誕生により、今以上の画質・音質・情報量を持ったWebページを制作できる環境が整うのも近いだろう。Web上で人を惹き付けられる可能性、そのに「ああ、おもしろかった」を入れていく可能性があるのかと思う。
下図を見ていただきたい。これらは私の会社4D. で制作プロデュースしている、マイクロソフトネットワークのトスカーナのテーブルという番組のカットだ。これはイタリアトスカーナ地方の食生活を通して、日本人の中に埋没している極楽生活と思考の扉を開こうよ!といった内容の番組である。ゲストにNHKのイタリア語講座のパンチェッタ氏や日本を代表するイタリア料理の日高シェフ達をお招きしながら、我々の4D.イタリアブランチの社員が取材し送ってくる番組素材と共に制作している番組だ。地球の裏側とこうやって仕事ができる場の創出は、まさにテクノロジーの恩恵だ。そしてイタリアという離れた場所で信頼できる仕事振りを発揮してくれているヨウコちゃんや当社のスタッフの皆、ラスの皆さん、そしてメディアの限りない可能性を追求しているMSNの皆さんが、この場をよりいっそう血が通う素晴らしい場にしてくれている。まさにワールドデザインの時代なのだ。
   
   
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