知識

2007.07.28

ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第10回

雑誌 STEP-BY-STEP 1997年16号 掲載
ワールド・デザイン計画
新しいデザインの構造 第10回
1991年夏、MACデザイン考古学

1991年、世界一周から帰ってきた僕は、インドで得たインスピレーションをもとに、写 真やイラストとは違う、新しい表現を探してマックIIを仕事場に持ちこんだ。ちょうどShadeを買って間もなかった頃、SEIKOブランドの一部「ALBA」の腕時計の広告全体の競合プレを頼まれた。4社競合からとった代理店には、年間分の雑誌の扱いほとんど全てと、「少年ジャンプ」の表4の扱い全てが許可されるので、代理店の真剣さがよく伝わってきた。その中で、何案かのカンプボードを制作したが一案コンピューターグラフィック案を入れた。その時のALBAのアイテムはシンプルな文字盤の時計で、一度プ−マのサッカーシューズの広告CGをつくったことがあったので、できそうだと思っていた。ALBAも若者マーケットの商品なので今までの、写 真でもないイラストでもない何か新しい表現が必要だと予測した。プレゼンはこのCG案で通 った。

喜んでいたのも束の間の出来事で、僕はひとり青くなったのだ。なぜなら、時計のモデルは変更になり、より高密度なクロノグラフがついたモデルになったからだ。僕はすぐに、その複雑かつカーブをもった時計のデザインと、数字とラインが正確にたくさん入っている文字盤の制作にとちかかった。その当時の僕のマックはIIfx(当時の最新モデル)に40MBのハードディスクと8MBのメモリ(たった!…)、そして13インチのモニタだけだった。早速、装備を見直さなければならなかった。(まだ、当時はQuadra900もなかったのだ。)

まず、Photoshop(バージョンは1.0)のバーチャルメモリを上げるために、もう今はないブランド、三井石化の1GBのハードディスクを購入した(80万円位した)。あと、13インチモニタひとつではモデリングが辛いので、もう一つ13インチモニタとフルカラーボードを購入しIIfxに追加した。さらにヤーク社のリスク演算ボードを1枚購入した。これは当時127万円もした。それでモデリングを始めることにし、設計図を頂いてそれを立体に起こしていった。

今のPowerPCのクロック周波数で言えば10Hz程度8MBのメモリの中で、どううまく見せていくのか、という戦いだった。ボディと文字盤のPICTを貼り込むとすぐ、「Not enough memory」と表示され、レンダリングが進まない。しかも、その表示がでるのも15分や20分待たされてからだ。その上、リロードだけでも2分や3分待たされてしまう。恐ろしいほど遅いのが当たり前だった。

ベルトの部分はShade仲間のイラストレーター加藤さんにヘルプしてもらった。やはりモデリングを合体させると、8MBのマックではレンダリングできなかった。そして、さらに追いうちをかけるように、文字盤をPhotoshopのみで正確につくるのは不可能だとわかった。しかし、ちょうどIllustrator88のデータがPhotoshopの新しいバージョンで読み込み可能になったというニュースを聞いた。これを早速手に入れると、Illustratorで制作した文字盤のグラフィックデータをニューバージョンPhotoshop2.0でコンバートして、ギリギリ解決した。そんなメチャクチャな時代だった。あと、レンダリングの時の「Not enough memory」は、バンド部分とボディ部分と同アングルで別々にレンダリングしたものをPhotoshopで合体することで解決した。今の時代だったら、もちろん一度でレンダリングできるのだろう。

上のブルーのものがALBAの広告夏のキャンペーンのもので2回目のものが右のものである。天地左右8000pixel程度のものをレンダリングさせPhotoshopで合成し、これは後にビルボードにもなった。当時の細やかなノウハウは初期のDTP雑誌にも書いている。


三菱自動車の広告で初のバーチャル・ロケ

もう一つすぐに、RVRという車の広告の全体のデザインレイアウトとCG制作をした(上写 真参照)。これは広告制作の依頼から納品までが1ヶ月で、ラフプレから完全版下納品したものだ。車の広告用のメインアングルはクルマ広告の一番大切なものであり、いろいろな分野の人が口をはさみ込むものだ。これも版下納品の10日前まで決まっていなかった。ビジュアルの方向はバックスバニーというキャラクターを使用することと、それにフィットするバックグラウンドのトーンとタッチにするということに、わりと初期の段階で決めることができたので、早速3DソフトのShadeで背景をつくりはじめていた。これも8MBのマックでは、モデリング全体を展開することが不可能なので、前影、中影、後影と分けた。

最初のラフでは、メインスタイリングは後ろから高めのアングルだったが、最終的には、前方向下から見上げたアングルが採用された。つまり、右写真のメインの車の写真アングルとサブのアングルが発売寸前まで逆だったのである。3Dで背景がすでに出来ていたので、3Dのカメラアングルを変更して車の方に合わせた。レンダリングにはそれぞれ前影1枚でリスクボードを4枚いれて3日はかかり、後影、中影あわせて1週間ちょっとはかかっている。夜中や朝方、会社に行き13インチのモニタを覗き込み、Shadeがリスクボードを使用して4つの小さな点を動かしているのを確認することは、恐怖でもあり楽しみでもあった。たまによく3、4日たってからフリーズしていることもあったからだ。その為、仕上がりまでの日時をよく逆算したものだ。ラ−ジピクトの計算時間はその当時、普通の方のレンダリングのボタンを押して、ストップウォッチで計ると計算できたのだ。つまりストップウォッチで20分だったら、ラージピクトは8×8倍の面積なので64倍必要になるわけだ。20分×64=1280分、つまり22時間弱という計算になる。これで用意してあるモデリングに次々とレンダリングをかけていく。しかし、どうしても都合上、別な件でコンピューターを使用しなければならない時もあり、その場合は一度ラージピクトをストップさせ、カメラを90度回転させ、さらにレンダリング・ダイアログボックスかの中で90度回転させるとまったく逆から計算できるので、最後に両者をPhotoshopで合成して一枚にしたりもした。これでかなり正確に仕事ができる様になった。クオリティーが良くても納期に間に合わない広告に、全然意味はない。

車の撮影hがCGの木の映り込み等をあらかじめ計算し、スタジオに木を持ち込み撮影しておいた。それらMacのデータをクオンテルとかハイパーペイントに移し合成した。

その当時は大型合成用コンピューターは、アンチMacだったのでインポート用のグラフィックソフトも開発されておらず、はじめてデータを移動したような時代であった。なにもかも、ちょっとずつ足りなかったりチグハグだったりする環境ではあったが、夢はいつもあった。いろんな人々からCGの反対意見が出まくっていた。得にRVRみたいな車のロケ場所をコンピューターの中ですませるといのは広告に携わっているADや営業の人やカメラマン、それら社内の、昔ながらの事をちょっとかじってきたような若いデザイナーは特に批判的であった。それは自分たちがロケに単純に行けなくなるという次元のものから、前例のないものをどうやってクライアントに車広告の柴山流ディテールを説得すれば良いのかという問題もあったらしい。とにかく僕はバーチャルロケだといつもまわりに言いふらしてまわって、コンピューターの中にロケセットを持ち込み、その中での無重力感や光りと影のピュアーなビジュアルを楽しんでいた。

これからもマルチメディアをめぐる環境が大きな変化を進める中、その技術が開拓する広大な可能性を追求し、新しい表現は技術を求め、技術は表現を求めている。アリベデルチ!

Works

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実は、広告、CM制作の為に、月の不動産を所有しています。

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