プロフィール

2007.02.26

PROFILE

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アート・ディレクター
柴山 信広(しばやま のぶひろ)

1990年に「気持ちを伝える為のテクノロジー」というコンセプトで一早く、ITに向けたデザインを手掛けてきた4D.広告やグラフィックデザインの先輩の偉大なデザイン事務所にあこがれ、頑張ってきた、平凡デザイナーの柴山信広が全国の企業がブレークするために惜しみなく応援をします。







私は、1956年まだまだ戦後の臭いがする東京大田区池上本町の小さなアパートで生まれました。父は鹿児島から勤めていた区役所から東京に出稼ぎに母は秋田から小作農大家族の7人兄弟の次女として、当時の口減らしとして東京上野の夜行列車で来たらしい。二人はそこで知り合い式を挙げずに入籍をして生まれたのがこのわたしです。父の名前は三信で母は広子です。足して二で割って私の名前は信広となりました。二人とも働いていたのですが、あまりお金は無かったようです。5歳の時は横浜市に引っ越してきて、毎日、高島屋の包み紙の裏側に、父から教えてもらった零戦や紫電戒やB29、鉄腕アトム、エイトマン、ゴジラなどの漫画物とメカ物を鉛筆で書いて友達に見せることが自慢でした。私の家は共稼ぎをしていましたが、働けど、お金はなく貧乏でした。ですから給食費も、貰えず、食事をしている間、ジーと待っているのは苦痛でした。そんなある日、友人が、私の家に遊びに来て君の所不景気だねと言われ、ショックでした。そんな僕は、一人で宇宙や星座の事に想像を巡らせたりしてアパシーを装いキズつかない様に注意をしていました。みんなと喧嘩はするけどスポーツ系の部活が嫌いに成りました。高校時代は、アマチュア無線部、放送部、新聞部の部長をしてアートと広報活動、電子工学に興味を持ちました。

しかし、大学に行くだけのお金は、家にはありませんでした。元々、デザインやイラストが好きでしたので、デザイン専門学校にアルバイトで卒業して成るだけ早く、手に職をつけなければと言うきもちでいっぱいでした。バイトは朝3時半にたたき起こされ朝の7時半に終わり、食事をして学校に行き専門学校にいき夕方また3事半から,6時までバイト、終わったら、学校の課題をしてまた寝るの繰り返しでした。しかし寝るのを惜しんで学生の分際でデザインのプロが出すアワードにも出品して、受賞をしました。少しづつ、自分に自信が持てるようになりました。

なぜ広告と言う仕事をしているのか……

あなたは広告やデザイン、サイト制作をなぜしているのかときかれます。
正直いって、1970年80年の広告は勢いがあった。そこに関われていることの喜びで、ポスターのデザインを見ておかずもなしに、ご飯がお代わり出来るほどでした。戦後を超えて、デザインの力、広告の力で日本は活力がだんだん出てきたのが肌で分かりました。
世の中にデザイン力や音楽が無ければこの世の中は墓場と同じと言うことだと思いました。
広告して、消費者が財布を開き、自分の広告で刺激され物を購入する。
製造、販売している会社は、売り上げが上がり、税金を国に支払い、国家が富む。
これ以上の未来に向けての子供達の夢を作る仕事は無いと思います。

私の家は貧乏でした。でもこれからはみんな一生懸命働いて、家でも車でも買えばいいじゃないですか。家族でレストランに行って、広告してある物を食べてみれば良いじゃないですか。そんな事が可能そんな姿をお父さん、お母さんの姿をみて、若者達がまた夢を追いかける。本当の商品や会社には、相手の気持ちを理解してあげて心を豊かにしてあげる魔法の力がある物です。それが私の仕事です。

今、日本はおかしい。このままでいいんですか。

私は、大好きなコンピュータでデザインをするために、会社を17年前の1990年に設立しました。コンピュータの中が、事務所だというコンセプトでした。独立して最初はもちろん一人、そして二人、次から次にくるインタビューと仕事と面接の要望、次々多くなるコンピュータの仕事は日本を飲み込んでいきました。それから時を同じにして時代がゲーム器が流行り湾岸戦争が起きテロが至るところで起きて子供達や市民が毎日死んでいきます。日本はまだ戦争が無いからいいようなもの、隣接諸国との綱の引き合いは予断を全く許せません。また我々の戦後の時代の父親像を見て日本の子供達は育ってきましたが、子が親を、親が子を殺し合ったり、先行きの見えない日本の未来の中でもがいているようにしか
見えません。方や会社のなかで監視の目や力を抜くとあらゆる会社の社内には黒い煙が、経営者が知らない事が起き始めます。会社は「継続と時代に対しての尖り」が大切です。

これからの日本を楽しい仕事で元気にしたい。

先に始めて、長く続いている企業は他ではまねの出来ないノウハウや、独自の魅力が多いのです。ではどうすれば我々若い起業家は成功するのか。ズバリ「人のしないことをする」です。中小企業も水面下ではかなり活発に動いているかと思います。しかし難しいのは、お客の集客と中小の内部統制やる気の引き出し方と社長のカリスマ性の維持だと思います。私は中小の社長に癖が有って当然だと思います。無謀、クレージーと言われてもやり通す、だから本当のロマンチスト。だからこれを読んでいる中小の社長が、これからの日本を背負えるのです。
それが男の夢〜。
一人の男を男前に出来なければ何故日本全体が元気になろうか。(聖徳太子)


これからの日本を良くしていくのは中小の会社の社長様も上場をはたした起業の経営者たちもです。私は男前豆腐の社長からエネルギーをもらいました。中小の社長は好きなような楽しく仕事に集中すればよいと言う自由さを彼からはもらいました。そうなんです。あなたの経営のビジョンは実現を待っています。
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『賞歴及び展覧会歴』
●毎日広告賞 特選2席●朝日広告賞●日経流通、消費者が選ぶ賞●リーダースダイジェスト消費者が選ぶ賞 銅賞●アドビデザインコンテスト特選●アーテック国際ビエンナーレ リコメンドアワード●フランス Imagina'92●フィンランド MUU MEDIA92 FESTIVAL展出品●個展「忘れ去られてゆくもの達」●フィンランド ART3000 INTERNATIONAL出品●VISIBLE.INVISIBLEビデオ作品出品●第60回毎日広告デザイン賞部門賞●VIDEO FEST'95●DEAF'95●Video Fest in Berlin'95出品●ART BOX展●日経BP広告賞●The 9th Dimensional Illustrators Awards Show(USA)銅賞●1998 年7月 個展「The Alchemical Tapestryー錬金術で開け放つ、織りなされた物語」●1999年4月「キヤノンデジタルギャラリー」柴山信広展 ●その他に、Turku Art Gallery(フィンランド)、Museum of Contemporary Art Sydney(オーストラリア)、IDMA in Canada, Video Positive in UK, Newcastle International Festivalにて作品を発表。JAGDA教育委員。デジタルイメージ会員 2000年度 文化庁派遣研修制度でIT関連のニューヨーク研修。 LONDON INTERNATIONAL ADVERTISING AWARDS。 ハプスブルグの宮廷アーティストメンバー。%8E%F6%8F%DC%8E%AE.jpg
メビウスアワード授賞式です。ロサンゼルス。真ん中で戯けているのが僕です。右は一緒に受賞したカメラマン、本田さん。左は、僕が養父の一那君。ロックンローラーな人生だな。

Works

ネットでイタリアと東京を結ぶ、番組を10年前1997年に制作していたんだ。

凡人デザイナーのオムニバス(グラフィック編-1)

アップルコンピュータの貴重サイン

実は、広告、CM制作の為に、月の不動産を所有しています。

東京工芸大学からのインタビュー

BIO-MORPH-MUYBRIDGE

Infini-Dポスター

アルケミア

東映三国志ポスターCG制作

LOVE MOTHER EARTHのポスターを制作する